勲章・記章について


日本の勲章・記章についての解説です。
本稿は軍装、礼装等での佩用に際しての解説を主目的としているため、
断りがない限り記述内容は各勲章・記章の制定から戦後に改定されるまでの期間を想定しております。
特に平成15年秋の叙勲からは制度が大きく変更されているため、現行制度との相違点が多くありますのでご注意ください。
また本稿の目的は解説であり、栄典制度やその運用に対しての是非や賛否を論ずるものではありません。
数字の表記に関してはできるだけアラビア数字を用いますが、固有名詞の年号や等級については漢数字の場合はその表記を優先します。


はじめに
勲章とは、人物の功績や手柄に対して国家や政府などから送られる栄典(表彰のこと)を目に見える形で示すための章飾(物体としての勲章やメダル)を指します。
勲(いさお:手柄や功績のこと)の章(しるし)ということになります。
日本においては制定時から終戦後に制度が一時停止されるまで叙位(位階の授与)、叙勲(勲等の授与)と連動して行われていたため、勲章の所有者は必然的に
位階と勲等も保有していることになります。

勲等と勲章
世間一般において叙勲というのは勲章を授けることを指しますが、日本においては厳密には勲等に叙すことを指し、勲章を授与する行為は授章と呼びます。
授章時には功績の度合いに応じて勲一等〜勲八等からなる勲等に叙した後、同時にその功績の内容に応じた分類の勲章(旭日章または瑞宝章)を贈るという流れになります。
つまり叙勲と授章は一括して行われるため、実質的には叙勲=勲章の授与までが含まれているのですが、言葉の意味合いとして
(日本においては)叙勲と授章が別のものであるということは知っておいて損はないかと思います。
また軍人軍属には戦功に対して贈られる金鵄勲章もあり、こちらは勲等ではなく功一級〜功七級からなる功級に叙されたあとに金鵄勲章が贈られます。

位階制度
位階は飛鳥時代から続いていた制度ですが、明治〜終戦時まで勲章との関わりについては、勲等(功級)に応じて連動する位階にも叙されるという点になります。
ただし位階に叙す対象者は臣民(現在は日本国籍を有する者)に限定されるため、外国人は叙勲され受章している者であっても位階には叙されません。また、皇族も叙位の対象外です。
なお帰化人は叙位対象になります。有名人の例では小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは帰化しているため没後従四位を贈られています。
戦後になってからは位階は没後叙位での運用しかされなくなったため、戦後の受章者は存命中は位階を保有していないか、もしくは戦前戦中に叙位され戦後も存命で叙勲授章はされているが
叙位はされなくなったため勲等と位階がかけ離れているケースもあります。存命中の人物では大勲位菊花大綬章を受章している元首相の中曽根康弘、終戦までに従六位に叙されてはいるものの
戦後は叙勲のみのため、現在のところ従六位大勲位というかなりアンバランスなことになっています。

勲章の種類
以下、日本の勲章の簡単な解説になります。
等級にリンクが貼ってあるものは、クリックすると別窓で画像が開きます。
(画像は管理人の保有するものを意匠の参照に掲載するものであり、勲章によっては戦後のものもあります)
菊花章
等級
制定
備考
綬の柄
軍装・礼装等で佩用時の目安
大勲位菊花章頸飾
明治21年
日本の勲章の中では最高位の物であり、
大勲位菊花大綬章
を受章した者でなければ
授章できない。頸飾(けいしょく)の名が示す
通り首からかける物なので、綬はない。
外国の国家元首に与えられる場合もあるが、
この場合は大勲位菊花大綬章を
受章していなくても贈られることがある。
なし
これは無理でしょう・・・
入手の困難さも去ることながら、生前受勲してる軍人は4人
(大山巌、山縣有朋、東郷平八郎、桂太郎)
そのうち佩用した姿が残っているのは桂以外の3人のみ。
皇族身位令による皇族への叙勲、軍人以外の首相経験者のうち菊花大綬章受章者への没後叙勲、
または外国元首への儀礼叙勲が圧倒的に多いです。
大勲位菊花大綬章
明治9年
頸飾の次に高位の勲章。
こちらも頸飾と同じく皇族や総理大臣の
受章者が多い。

これもかなり難しいです。
武官文官問わず大正以は降没後叙勲が多く、いわゆる明治の元勲が佩用している姿が
残っているぐらいです。
金鵄勲章
等級
制定
備考
綬の柄
軍装・礼装等で佩用時の目安
功一級
功二級
功三級
功四級
功五級
功六級
功七級
明治23年
(昭和22年廃止)
戦功のあった軍人及び軍属に与えられる。
文官や民間人は受章資格がない。

金鵄勲章叙賜条例に記された叙勲範囲は以下の通り
将官:初叙功三級 上限:功一級
佐官:初叙功四級 上限:功二級
尉官:初叙功五級 上限:功三級
准士官:初叙功七級 上限:功五級 (昭和12年より初叙功六級、上限功四級に改定)
下士官:初叙功七級 上限:功五級 (昭和12年より初叙功六級に改定)
兵:初叙功七級 上限:功六級
陸軍見習士官、海軍少尉候補生含:尉官に準ずる
将校相当官および軍属:下士官に準ずる

なお武功抜群の者は初叙が一級繰り上がるとの規定有
旭日章
等級
制定
備考
綬の柄
軍装・礼装等で佩用時の目安
勲一等旭日桐花大綬章
明治21年
旭日章ではあるが、勲一等旭日大綬章の
さらに上の等級であり、綬も他の一等から
八等までとは異なる。

ほぼ大将(皇族を除く)
勲一等旭日大綬章
勲二等旭日重光章
勲三等旭日中綬章
勲四等旭日小綬章
勲五等双光旭日章
勲六等単光旭日章
勲七等青色桐葉章
勲八等白色桐葉章
明治8年
日本で一番最初に制定された勲章で、
国家や公共に功績のあった男子に与えられる。
宝冠章と同格。

『文武官叙勲内則』による初叙は
大将:勲二等
中将、少将:勲三等
佐官、尉官:勲六等
下士官:勲八等
宝冠章
等級
制定
備考
綬の柄
軍装・礼装等で佩用時の目安
勲一等
勲二等
勲三等
勲四等
勲五等
明治21年
功績のあった女子に与えられる。
旭日章と同格。天然真珠を多く使用して
作成されるため、一つ当たりのコストは
旭日章より高い。

授章対象者が女子であり軍装時に佩用するケースがないので割愛
勲六等
勲七等
勲八等
明治29年
瑞宝章
等級
制定
備考
綬の柄
軍装・礼装等で佩用時の目安
勲一等
勲二等
勲三等
勲四等
勲五等
勲六等
勲七等
勲八等
明治21年
年功に対し与えられる。
最初は男子のみだったが、大正8年より
女子にも与えられることになった。

『文武官叙勲内則』による初叙は
大将:勲二等
中将、少将:勲三等
佐官、尉官:勲六等
下士官:勲八等
文化勲章
等級
制定
備考
綬の柄
軍装・礼装等で佩用時の目安
なし
昭和12年
文化の発達に関し特に顕著な功績のある者に
与えられる。

軍人の受章者はいないため割愛

記章
記章には戦役に関わったことを顕彰する従軍記章と、国家的な業務(憲法発布、国勢調査など)や式典に関わった者へ贈られる記念章の2つがあります。
いずれも勲章と違い位階勲等とは関わりがなく、記章自体にも等級はありません。
また贈られる条件の『関わる』の範囲も記章ごとに違っており、功績とはいかないまでも多少の貢献が必要とされているものがあります。
従軍記章の授与条件のうち『従軍』は、軍人であれば戦地に赴いていることはもちろんですが、後方での作戦立案や兵站など、戦闘行動そのものでなくとも含まれます。
また輸送に関わった船員や負傷者の看護にあたった医療従事者など民間人も対象になる場合があります。
(画像はクリックするとで一回り大きいものが別窓で開きます)

記章(従軍記章)
名称
制定
備考
画像(左:表面、右:裏面)
明治七年従軍記章
明治8年
台湾出兵に従軍した者に与えられた。
日本で初めて制定された記章。
準備中
明治二十七八年従軍記章
明治28年
日清戦争に従軍した者に与えられた。


明治三十三年従軍記章
明治35年
北清事変に従軍した者に与えられた。
準備中
明治三十七八年従軍記章
明治39年
日露戦争に従軍した者に与えられた。


大正三四年従軍記章
大正4年
当初は第一次大戦の青島攻略に従軍した
者に与えられた。しかし後にシベリア出兵
従軍した者に対応するため、名称を
「大正三年乃至九年戦役従軍記章」と改められた。
綬は同じもので、メダル部分裏面の文字が異なる。


大正三年乃至九年戦役従軍記章
大正9年


昭和六年乃至九年従軍記章
昭和9年
満州事変及び上海事変に従軍した者に
与えられた。


支那事変従軍記章
昭和14年
(昭和21年失効)
支那事変に従軍した軍人に与えられた。


大東亜戦争従軍記章
昭和19年
(昭和21年失効)
大東亜戦争に従軍した者に与えられる
はずだったが、終戦により発行はされなかった。
準備中
※支那事変と大東亜戦争以外の記章についても、失効が明文化されていないがすでに効力はない


記章(記念章)
名称
制定
備考
画像(左:表面、右:裏面)
大日本帝国憲法発布記念章
明治22年
明治22年の大日本帝国憲法発布式に参加した奏任官以上の者に与えられた。綬は旭日桐花大綬章と同じ意匠のもの(太さは異なる)。
準備中
大婚二十五年祝典之章
明治27年
明治天皇と昭憲皇太后の結婚25周年の祝典参列者に与えられた。
準備中
皇太子渡韓記念章
明治42年
明治40年に皇太子嘉仁親王の渡韓に関係した日韓の皇族と奏任官以上に与えられた。
準備中
韓国併合記念章
明治45年
併合に関わった者、在勤した官吏や朝鮮王族などに与えられた。
準備中
大礼記念章(大正)
大正4年
大正天皇即位の式典に参加した者などに与えられた。


戦捷記章
大正9年
第一次大戦の連合軍戦勝記念の記章。従軍記章ではなく記念章ではあるが、対象は功績顕著なる戦闘員(戦捷記章令より)とされている。メダル部分の意匠は国ごとに異なる。


第一回国勢調査記念章
大正10年
第1回の国勢調査業務に関わった者に与えられた。
準備中
大礼記念章(昭和)
昭和3年
昭和天皇即位の式典に参加した者などに与えられた。


帝都復興記念章
昭和5年
関東大震災復興の業務に関わった者に与えられた。
準備中
朝鮮昭和五年国勢調査記念章
昭和7年
当時併合中だった朝鮮の国勢調査業務に関わった者に与えられた。なお本章の記念章令に『第一回国勢調査記念章を受與せられたる者に付ては此の限に在らず』との記載があり、両方に関わった者はこちらを与えられていない可能性あり
(調査中)
準備中
紀元二千六百年祝典記念章
昭和15年
昭和15年(皇紀2600年)の紀元節祭参列者、業務に関係した者に与えられた。


支那事変記念章
昭和17年
(昭和21年失効)
支那事変に特別の貢献がある支那事変従軍記章者以外の者へ与えられた。メダルの文字が記念章となる以外は綬を含め同じ意匠。
準備中

赤十字
日赤の社員(日赤では会員を社員と称す)のうち一定額以上を寄付した者に日赤から付与される。
名称
備考
画像(左:表面、右:裏面)
有功章
事業又は社資を幇助し特別の功労ありと認められる者に、常議会の議決により授与される


社員章(正社員)
年醵金3円以上を収める者。
醵金3円以上を10年、もしくは一時に25円以上を納めた場合は終身社員となり、綬に綵花が付く。





社員章(特別社員)
日赤の事業や融資に幇助の功があり、常議会の議決により推薦される者


社員章(名誉社員)
常議会の議決により推挙したる者


以下に勲章記章の制定と関連する出来事、小変更の一部を時系列で表にします。
勲章記章の制定、変更は薄緑、関連する出来事は白、その他は深緑で表記しています。
またアイコンとして勲章記章の制定と変更は末尾にその綬の画像を付けてあります。
西暦
元号
皇紀

勲章・記章、関連する出来事
解説、備考、関連法規など

1874年
明治7年
2534年
5月
台湾出兵


1875年
明治8年
2535年
4月
勲一等〜八等旭日章(当初名は賞牌、翌年に勲章へ改称)
明治七年従軍記章(当初名は従軍牌、翌年改称)制定
明治八年太政官布告第五十四号



1876年
明治9年
2536年
11月
賞牌を勲章、従軍牌を従軍記章へ改称
明治九年太政官布告第百十四一号

12月
大勲位菊花大綬章制定
明治十年太政官布告第九十七号

1886年
明治19年
2546年
10月
勲四等旭日小綬章に綵花を付加


1888年
明治21年
2548年
1月
大勲位菊花章頸飾制定
勲一等旭日桐花大綬章制定
勲一等〜五等宝冠章制定
勲一等〜八等瑞宝章制定
明治二十一年勅令第一号







6月
日本赤十字社社員章、有功章制定
日本赤十字社社員章有功章条例

1889年
明治22年
2549年
2月
大日本帝国憲法発布


8月
大日本帝国憲法発布記念章制定
明治二十二年勅令第百三号

1890年
明治23年
2550年
2月
功一級〜七級金鵄勲章制定
明治二十三年勅令第十一号

1894年
明治27年
2554年
3月
大婚二十五年祝典之章制定
明治二十七年勅令第二十三号

明治天皇大婚満二十五年祝典
記念章制定は3月6日
式典は3月9日

7月
日清戦争(明治二十七八年戦役)
〜1895年11月

1895年
明治28年
2555年
8月
功一級金鵄勲章副章の佩用位置を左胸に変更
また功二級の佩用位置を右胸に変更
明治二十八年勅令第百二十号

10月
明治二十七八年従軍記章制定
明治二十八年勅令第百四十三号
1896年
明治29年
2556年
4月
勲六等〜八等宝冠章制定
明治二十九年閣令第四号

1900年
明治33年
2560年
6月
北清事変
〜1901年9月

1902年
明治35年
2562年
4月
明治三十三年従軍記章制定
明治三十五年勅令第百四十二号

1904年
明治37年
2564年
2月
日露戦争(明治三十七八年戦役)
〜1905年9月

1906年
明治39年
2566年
3月
明治三十七八年戦役従軍記章制定
明治三十九年勅令第五十一号

1907年
明治40年
2567年
10月
皇太子嘉仁親王が韓国行啓


1909年
明治42年
2569年
3月
皇太子渡韓記念章制定
明治四十二年勅令第四十二号

1910年
明治43年
2570年
8月
韓国併合


1912年
明治45年
2572年
3月
韓国併合記念章制定
明治四十五年勅令第五十六号

7月
明治天皇崩御、嘉仁親王践祚
7月30日

1914年
大正3年
2574年
7月
第一次世界大戦
〜1918年11月

1915年
大正4年
2575年
8月
大礼記念章(大正)制定
大正四年勅令第百五十四号

11月
大正三四年従軍記章
大正四年勅令第二百三号

即位の礼
11月10日

大嘗祭
11月14日〜15日

1919年
大正8年
2579年
5月
瑞宝章の授章対象を女子にも拡大
大正八年勅令第二百三十二号

1920年
大正9年
2580年
3月
大正三四年従軍記章を
大正三年乃至九年戦役従軍記章へ改定
大正九年勅令第四十一号

9月
戦捷記章制定
大正九年勅令第四百六号

10月
第一回国勢調査実施


1921年
大正10年
2581年
6月
第一回国勢調査記念章制定
大正十年勅令第二百七十二号

1923年
大正12年
2583年
9月
関東大震災


1926年
大正15年
2586年
12月
大正天皇崩御、裕仁親王践祚
12月25日

1928年
昭和3年
2588年
8月
大礼記念章(昭和)制定
昭和三年勅令第百八十八号

11月
即位の礼
11月10日

大嘗祭
11月14日〜15日

1930年
昭和5年
2590年
8月
帝都復興記念章制定
昭和五年勅令第百四十八号

10月
朝鮮国勢調査実施


1931年
昭和6年
2591年
9月
満州事変


1932年
昭和7年
2592年
1月
第一次上海事変


7月
朝鮮昭和五年国勢調査記念章制定
昭和七年勅令第百四十五号

1934年
昭和9年
2594年
7月
昭和六年乃至九年従軍記章制定
昭和九年勅令第二百二十五号

1937年
昭和12年
2597年
2月
文化勲章制定
昭和十二年勅令第九号

7月
盧溝橋事件(支那事変)


10月
功四級金鵄勲章に綵花を付加
昭和十二年勅令第五百七十七号

1938年
昭和13年
2598年
7月
海軍軍人の正装、礼装、通常礼装を停止
(これ以降は軍装で代用)
昭和十三年勅令第五百八号

1939年
昭和14年
2599年
7月
支那事変従軍記章制定
昭和十四年勅令第四百九十六号

1940年

昭和15年

2600年

7月
紀元二千六百年祝典記念章制定
昭和十五年勅令第四百八十八号

11月
紀元二千六百年式典


1941年
昭和16年
2601年
12月
大東亜戦争
〜1945年8月

1942年
昭和17年
2602年
9月
支那事変記念章制定
昭和十七年勅令第六百五十八号

1944年
昭和19年
2604年
6月
大東亜戦争従軍記章制定
昭和十九年勅令第六百五十八号



参考までに、以下は旧制度と現行制度の対比です。

旧制度(平成15年春まで)
現行制度(平成15年秋以降)
名称
等級
名称
等級
変更点
菊花章
大勲位菊花章頸飾
菊花章
変更なし
大勲位菊花大綬章


桐花章
桐花大綬章
旭日章の最上位から独立する形で、別系統の
勲章として新設。旭日章の上位、菊花章の下位。
本体のデザインや綬の柄については、旧制度の
勲一等旭日桐花大綬章と同じ。
旭日章
勲一等旭日桐花大綬章
勲一等旭日大綬章
勲二等旭日重光章
勲三等旭日中綬章
勲四等旭日小綬章
勲五等双光旭日章
勲六等単光旭日章
勲七等青色桐葉章
勲八等白色桐葉章
旭日章
旭日大綬章
旭日重光章
旭日中綬章
旭日小綬章
旭日双光章
旭日単光章
最上位であった旭日桐花大綬章が旭日章から
独立し別系統となった。名称から等が省かれ、
名前のみとなる。旧制度の七等と八等に相当する
等級は廃止となり、単光(旧制度の六等)から
始まる。また、授章規定が女子にも拡大された。
宝冠章
勲一等
勲二等
勲三等
勲四等
勲五等
勲六等
勲七等
勲八等
宝冠章
宝冠大綬章
宝冠牡丹章
宝冠白蝶章
宝冠藤花章
宝冠杏葉章
宝冠波光章
名称が、等級から各章ごとの名前に変更された。
旭日章の授章規定が女子にも拡大されたため
現制度では外国人に対する叙勲など、ごく限られた
機会にのみ運用される。
瑞宝章
勲一等
勲二等
勲三等
勲四等
勲五等
勲六等
勲七等
勲八等
瑞宝章
瑞宝大綬章
瑞宝重光章
瑞宝中綬章
瑞宝小綬章
瑞宝双光章
瑞宝単光章
名称が、等級から各章ごとの名前に変更された。
名前は旭日章のものと一致している。旧制度の
七等と八等に相当する等級は廃止され、綬も
新たに下記の柄へ変更となった。

文化勲章
文化勲章
変更なし

現行の勲章については、内閣府賞勲局のサイトで画像などが閲覧できます


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