1.階級に応じた勲等功級

『文武官叙勲内則』(明治21年9月3日)で定められた初叙勲等と上限を表にしました。
なおこの内則は文官も含めた官吏の規定であるため原文では軍の階級ではなく官吏の等級で表示されていますので、
官吏等級ごとに相当する階級を併記します。
官吏区分(階級)
初叙及び定期叙勲での上限
佩用時の目安
目安の解説
親任官(大将)
勲二等⇒勲一等
勲一等
大将になるとほぼ勲一等、場合によってはさらに上の大勲位も
勅任官一等(中将)
勲三等⇒勲一等
勲三等~勲一等
少将で叙勲された勲二等、もしくは中将時に叙勲される勲一等
少将時に勲二等に叙されずに昇進するケースもあるので、中将で勲二等叙勲前の勲三等もあり
勅任官二等(少将)
勲三等⇒勲一等
勲三等~勲二等
大佐までに叙勲された勲三等か、少将時に叙勲される勲二等
奏任官一等(大佐)
勲六等⇒勲三等
勲四等~勲三等
佐官時代は昇進速度の差で人によって年齢と階級の開きが出てくる次期なので、叙勲時期として
下記3パターンが挙げられます。
1.少佐:なし⇒中佐:勲四等⇒大佐:勲三等
2.少佐:勲四等⇒中佐:なし⇒大佐:勲三等
3.少佐:勲四等⇒中佐:勲三等⇒大佐:なし(すでに上限のため)
この3パターンを軸に、受章前・受章後の2通りと考えればよいかと思います。
奏任官二等(中佐)
勲六等⇒勲三等
勲五等~勲三等
奏任官三等(少佐)
勲六等⇒勲四等
勲五等~勲四等
奏任官四等(大尉)
勲六等⇒勲四等
勲六等~勲五等
中尉までに叙勲された勲六等、ないしは大尉の期間中に勲五等へ叙勲。
上限の勲四等になる前に昇進してしまう可能性が高い。
奏任官五等(中尉)
勲六等⇒勲五等
なし~勲五等
少尉の期間に叙勲される前に昇進してしまうケースもあるので、中尉でも初叙前の勲章なし期間がありうる。
勲五等は叙勲される前に大尉なってしまうことが多いので、ないわけではないが少ない。
奏任官六等(少尉)
勲六等⇒勲五等
なし~勲六等
兵学校出で任官したて新米少尉の叙勲前~初叙後。
下士官からの叩き上げならば、下士官時代に叙勲された勲八等~七等を佩用するのもあり。
この場合は特務士官となるので服装に注意。
判任官(下士官)
勲八等⇒勲七等 ※
なし~勲七等 ※
初叙前の期間~初叙の勲八等、更に長く務めると勲七等
(※判任官一等である准士官のみ、上限が勲六等になる)
目安は実際の佩用例を見た範囲での、管理人の独断によるものです。設定の辻褄が合いさえすれば、目安を出ることも問題ないです(予備役編入期間が長かったとか、病気療養で現役期間が短い等で階級の割に勲等を低く設定するなど)。この規定だけ見ると奏任官である少尉から大佐まではすべて初叙が勲六等ですが、進級しながら勲等も上がっていくので実際には奏任官であれば上限ないし上限一つ手前の勲等まで来ていることが多いです。旭日章と瑞宝章のどちらを佩用するかについては、自分が作ろうとしている服の階級の軍人が正装や礼装をしている写真を参照にしてみるといいでしょう。パターンとしては、現在の勲等の旭日章と瑞宝章両方、もしくは現在の勲等の旭日章と一つ下の勲等の瑞宝章(あるいはその逆)あたりがよく見られます。
また、金鵄勲章は明治二十七年勅令第百九十三号『金鵄勲章叙賜条例』で以下のように規定されます
(初叙については同条例7条により、一級上になることもあるとされています)
階級区分
初叙及び上限
将官
功三級⇒功一級
佐官
功四級⇒功二級
尉官
功五級⇒功三級
准士官・下士官
功七級⇒功五級※

功七級⇒功六級
※昭和12年7月8日以後は初叙が功六級、上限が准士官は功四級、下士官は功五級へ変更(昭和十三年勅令第二百七十号『金鵄勲章叙賜条例中改正』)

対象が軍人軍属限定の勲章であるため、官吏区分ではなく階級区分で規定されています。また、官吏に含まれないため文武官叙勲内則には規定のなかった兵も対象であることが明記されています。ただし金鵄勲章は戦功を挙げないともらえない勲章なので、生涯保有することなく軍を退役する者も決して少なくありません。また尉官時代に下位の功級を叙賜されたものの、その後は戦場に出ずに将官になってしまい高位の勲等と下位の功級で併佩している写真もよくあります。とはいえ前述のように勲章自体をもらえない人も多いなか、下位のものでも持っているだけで一種のステータスになるという考えが多かったようです。


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